現地の人でも知らない野菜や、
昔からその土地で受け継がれてきた野菜のルーツを巡る旅「Native Seed Travel 」。
その第二弾は、とある人物を訪ねるために山形県へ。
庄内地方で、日本各地の在来野菜を600種以上を栽培する、『株式会社ハーブ研究所』の山澤清さんを訪ねました。
コロナ禍の影響で、山澤さんがプロデュースするレストランは休業中だったが、
併設する研究施設を見学したいとアポイントを取ってみたところ…直接、お話を伺える奇跡が。
おめぇら、何が知りてぇんだ?
鶴岡市内の中心部から、車で30分ほど走った場所に山澤さんが経営するベジタイムレストラン『土遊農 〜Do You Know〜』がある。
時間通りに到着すると、一台の車が現れ、私たちに気付いて降りてきた。
お会いしたかった山澤さんだった。
山澤さん
おめぇら、何が知りてぇんだ?
山形訛りが効いた口調とその笑顔が私たちの緊張をほぐした。事情をご説明すると、素性もよく分からない私たちを山澤さんは、快く受け入れてくれた。
山澤さんが現在、育てている在来野菜は、600種類以上。
元々、山澤さんは、庄内地方で農業用機械や農薬の技術指導の仕事をしていたが、10年ほど経った31歳の頃、庄内の生態系の悪化と環境への悪影響を危惧し、退職。
そこから30年以上、試行錯誤をしながら、ハーブ研究所の設立、自然派化粧品「Ondo」の製造販売、食用鳩の肥育・育成や日本在来の蚕「子石丸」の飼育といった様々な事業を展開する経営者に。
山澤さん
何でも質問してみろ、7秒以内で答えられっからよ。
力強いその言葉に、ここまでに至る苦労や痛み、失敗や喜び、分厚い一冊の専門書のような重みを感じ、山澤さんのお話に私たちは、惹き込まれていった。
種をとりまく環境の変化
今まで育てた品種は600種類を越え、個人でシードバンクも保有する山澤さんだが、その自家採種は、並大抵のものではないと話していた。特に大根や蕪などのアブラナ科は、交雑しやすいため、様々な条件をクリアさせながら、種を繋いでいるという。
山澤さん
種採り農家で商売してる人は、まぁ居ないな。
3〜5年くらいで交雑や忌地(いやじ=連作障害)でダメになっちゃうからな。毎年、種屋からわざと在来野菜の種子を購入してんだけど、3割くらいは交雑してる。
昔の農家は、蕪を100本植えたら、その中で20本ほど形の良い野菜だけ選別してきたんだ。混ざったものは売りものにして、形の良いものだけ種採りしてきたの。
今のF1品種だって、8年くらい種採りして、大部分が同じ特徴が出たら、固定種になるんだよ。
それを繋いでいくのが伝承であり、地域の山奥などで受け継がれてきたのが在来野菜なの。
山澤さん
在来野菜は地域や各家ごとに言い伝えで、決まったルールがいっぱいあるの。この蕪は、先が細くて、下が白色、上の方が青色、茎がアントシアニンで紫になっているとかな。
だから俺は、若い頃に在来野菜の本当の姿形を知るために、農家のお爺さんやお婆さんに「この野菜は、どういう特徴があるんですか?」って聞き取り調査をやってきたのよ。もう皆、死んじゃったけどな。
庄内地方は、山奥が多いから「温海蕪(あつみかぶ)」や「宝谷蕪(ほうやかぶ)」などの在来蕪がいくつも残ってる。でも、今じゃ大根みたいな蕪になってきてるな。50年くらい前までは、集落で花を咲かせない掟や花が咲いたら切り落とすルールを守ってきたけど、ここ数十年で混ざり始めたんだよな。
鶴岡市の在来野菜の中で有名なのは「温海蕪」。
温海地域の焼畑で栽培されてきた赤い丸カブで、江戸時代の古文書「松竹従来(1672)」に登場することから、少なくとも350年以上の歴史を持つ。温海蕪の種採りは、伝統的に交雑の危険が少ない山間の集落で行われてきたという。
山澤さんは、種をとりまく環境の変化も在来野菜が消えゆく一因だと仰っていた。
植物の栽培や成長に欠かせないのは、ミツバチの受粉。日本にはニホンミツバチが生息していたが、明治時代にセイヨウミツバチが輸入されたことも要因として大きいそう。
ニホンミツバチの行動範囲は、約500m〜2kmだが、セイヨウミツバチはその倍以上ともいわれる。それゆえに、代々受け継がれてきた在来野菜の交雑を促進している。
知らぬ間に消えゆく在来種野菜たち。
私たちの新しい生活様式や物は、知らずのうちに、昔から続いてきた何気ない営みを日に日に変化させているのかもしれない。
モノカルチャーがもたらす影響
山澤さんに、この先、伝統野菜や在来種が無くなったらどんな影響があるかを聞いてみた。
山澤さん
出ないわけがねぇ。100%の確率で影響がでる。なんでかって、環境をみたらよく分かる。
山澤さんは即答だった。
長い年月をかけて種と向き合ってきた山澤さんの答えは、力強かった。
山澤さん
19世紀にアイルランドでジャガイモの大飢饉があったでしょ。
あれは、一種類のジャガイモをずっと育ててたから、連作障害が起こって、植物が自死しちゃったの。品種改良した野菜で単一栽培ばかりしてると、自然界では必ずペナルティが発生するんだ。
人間だって同じ場所で同じことだけやってたらノイローゼになってしまうだろ?多様性がなきゃダメなのよ。
山澤さん
30年前に農業を始めた頃、庄内地方の一帯からカラスウリが無くなったことがあった。ずっと調べていたら、数年前に防虫対策したことで、スズメガの幼虫がいなくなったことが原因だと分かった。カラスウリは夜に花が咲くから、夜に花の蜜を吸い上げるスズメガがいないと受粉しないの。
その時に、農業がもたらす生態系への影響を危惧したの。植物の歴史から見たら、人間なんて赤ちゃんみたいなものだからな。
人類が利便性を求め、循環を求めなくなった今、種が望んでいる事があるとするならば、それは私たち自身が変化する事なんだろうと感じた。
愛を持って、続けられるか?
お話を伺っていく中で、農業を生業として成立させ、どのように稼いでいくか?という働き方のヒントについても伺う事が出来た。このコロナ禍の影響もあってか、山澤さんの元にも、農業を志す若者からの問い合わせが増えているという。
山澤さん
農業は楽しいよ、未来もあるし面白い。ただ、一次産業だけで生業できるのは、広大な土地と資産がある人だけだな。あと大根1本を千円で売る能力がないと生業にはできねぇな。
山澤さんは、採算が取れるとこまで行く前に諦めてしまう若者を多くみてきたそうだ。
その採算が見えて来た時こそ、勝負だという。
在来野菜を提供するレストランや、自然派化粧品など、山澤さんの事業は多岐に渡っているが、生産者として、そして経営者としての野心と遊び心を絶妙に合わせもつ、バランス感覚に優れた生産人なのだと感じた。
山澤さん
最初はアンポンタンでいいの。知識なんて、後からいくらでもついてくる。
ただ、それを維持していくだけの”魂”があるかどうかが問題。そして、そこに”愛”が伴うかだよ。
欲望が入ったらそれは儚くなる。人の欲が入り混じったらそれはおしまい。皆ね、そんな事は出来ないって言うんだけど、簡単に出来るんだよ。楽勝よ。やる動悸がないだけなの。
”魂”と”愛”をもって続けていく。
複雑に考え過ぎる現代の人々に対する、シンプル・イズ・ベストな教えを受けた気がした。
現在、74歳になる山澤さん。様々な事業をしているが、常に暇なんだそう。
暇で仕方ないから、引退したらどうなっちまうんだか!と山澤さんは笑う。
20年前から息子さんも事業を共にし、あと数年で山澤さんは引退するのだそうだ。
山澤さん
俺はな、ケツを決めて生きてる。
2052年5月28日、この日に息を止めて死ぬんだ。そう決めれば、今何をすべきかよく分かるの。
“暇”という言葉を辞書で引くと『しなければならない仕事のない時・手すきの時』と出てくる。
きっと山澤さんにとって、しなければならない仕事は一つもなく、暇という言葉は、24時間、自分自身で決めた事をする人が言える幸せな呪文のように思えた。
死ぬ時に全部、燃やしてやる
今や山澤さんしか持っていない種もあるそうだ。天保時代から続く「山形天保そば」の種子の話も興味深かった。庄内地方では、在来野菜が地区や家ごとに守られてきた文化がある。しかし、それらが絶滅しようとしていることは事実。私たちは、そのお話を聞いて、ますます在来野菜の文化に興味を持った。
山澤さん
これ、全部死ぬ時に燃やすの。今の世の中や現代人へ対してのペナルティ。だって残す理由がないんだもの。
そう言って、はにかむ山澤さん。
山澤さんは、今、種がどんな状況に置かれているか、そして、これからどんな道を辿っていくのかさえも、おそらく理解しているのだろう。なにより、30年以上、種と真摯に向き合い努力してきた山澤さんに、そう言わせてしまう事を今を生きる現代人として申し訳なく思った。
大切に繋いできた種を、おそらく山澤さんは本当は絶やしたくない、いや、絶やしてたまるかとさえ思っているのだろうと思った。
山形県の種のスペシャリスト。
山澤さんは、私たちのような新参者にも関わらず、包み隠すことなく何でも教えてくれた。
私たちも、山澤さんのように、年を重ねていきたい。
遊ぶように働き、”愛”と”魂”を込めて生きていく。
ファンキーでお茶目な山澤さんに、これから向かうべき場所、そして生き方を学んだような気がした。
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