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Native Seed Travel 宮城県村田町編

更新 2022.5.27

 

現地の人でも知らない野菜や、
その土地で代々受け継がれたきた種を守る人たちを巡る旅「Native Seed Travel 」。
その第三弾は、とある農園を訪ねるために宮城県へ。

3月の初め、何か面白そうなことをしている方や場所を調べていると、
一見、農家にはみえない、異彩な風貌を放つ人物に辿りついた。

それが『村岡農園』の村岡次郎さんだった。

Webサイトに掲載されていた村岡次郎さん

ウェブサイトには、下記のような農園のコンセプトが書かれていた。

Farming Rock
鼓動を感じ、躍動する世界へ

「農」という世界は、常に生命の鼓動を感じ、躍動している。
これは、Rockのようだ。
常にSoundが生まれ、絶え間なくRhythmよく瞬時に変化して行く。
創造的世界が「農」にはあることを、伝えていきたい。

有機農家 村岡次郎

 

私たちは、思わず村岡さんという人物に惹かれてしまった。
恐る恐るメールを送ってみたところ、返事が返ってきた。

「固定種・在来種の野菜に拘らずに栽培していますが、それでも大丈夫ですか?」

私たち自身、固定種・在来種という枠組みに囚われているわけではなく、純粋な心で野菜と向き合い、土を耕す方の元へお邪魔したいと考えていたので、「ぜひ、お伺いさせてください。」と返事を返し、宮城県へ向かった。

何も変わらない日本って何だろう?

仙台市から車で走ること、約1時間。
宮城県柴田郡にある村田町という場所に『村岡農園』がある。

村田町は、江戸後期から昭和の初期にかけて、仙台と山形を結ぶ街道の分岐点として、商都の賑わいをみせた。当時の栄華を伝える豪勢な店蔵の面影が、町の中心部に残っている。

村田町では、紅花(べにばな)の取引をはじめ、農産物、味噌醤油醸造販売業などが商いとして栄えたという。

趣のある商人町を抜けて、田園風景が広がる山道をしばらく走ると、明らかに異質な雰囲気漂う畑が目に飛びこんできた。

竹で作られた柵や支柱。
何年も使い続けているであろう畝。
至る所に生茂る雑草。

その畑を見た瞬間、『村岡農園』はここに違いない、と私たちは確信した。

畑の前には、綺麗な水が流れる小川があった。

つい、個性的な畑に見惚れていると、村岡さんが声をかけてくれた。
ご挨拶すると、ワイルドな見た目とは裏腹に、丁寧に畑を案内してくれた。

村岡次郎さん

村岡さんは、佐賀県出身。
自然が大好きだったこともあり、中学生の頃から農家の手伝いをしていたという。

大学卒業した後は、世界中を旅したり、農産物を扱う商社に勤めたが、退職。
2年間、日本とアメリカで有機農家となるための研修をし、農家と消費者を繋ぐ『CSA』という仕組みやアメリカのファーマーズマーケットで野菜の販売方法を勉強した後、26歳の頃に農業を志した。

現在は、村岡さん独自の農法で、数十種類の野菜を栽培し、週2回、仙台のマーケット市と、村田町に絞った野菜ボックスの提携販売で農園を営んでいる。

私たち

村岡さんは、なぜ農家になろうと思ったんですか?

村岡さん

俺が、農家を志した経緯は、色々あるけど、大学時代に百姓の宇根豊さんの講演会に参加したことがきっかけ。
 
その時、宇根さんが「日本の美しい里山の風景や、多様な生物が住める環境は、百姓が作ってきた」と話していたんよ。
俺たちが今、見ている自然の風景も、ただ単に自然にできている風景ではなく、相当昔から、誰かしらが手を動かしてきた証だったんよね。
 
俺自身、子どもの頃に自然豊かな場所で育ったこともあって、百姓ってスゲェな!って、農業や生物に対する知識が激変した瞬間だった。それから、自分も将来、美しい日本の風景を作れる百姓になりたいと強く思ったっちゃね。

村岡さんは、私たちに丁寧に自分のことを教えてくれた。

宇根豊さんとは、日本を代表する百姓であり、思想家。
多くの著書で、日本の農業のあり方に新たな視点で提起する思想を展開されており、田んぼの生物と百姓仕事の関係性を紐解いた人物だ。

「農」は、ただ食べ物を生み出しているだけではなく、その過程の中で、多くの生き物、風景、または文化を生み出している。
特に、有名な論考では、日本の赤トンボの殆どが田んぼで生まれていることを突きとめ、農業生産物に生き物たちも含めるように提案し、作物同様に生き物も育てる『環境稲作』を技術化した。
70歳を越えた現在も、百姓仕事に専念しながら、農業の近代化を深く問い直す思想的な営みを続けている。

宇根さんによると、日本にいる赤トンボ200億匹の99%は田んぼで生まれているという。最近では、休耕田の増加、耕作放棄の増加により、赤トンボの生息環境が脅かされているそうだ。

私たち

地元の佐賀県ではなく、宮城県で農業を始めたのは何か理由があるんですか?

村岡さん

2011年の震災が転機やね。
震災直後に宮城にボランティアで1ヶ月半ほど訪れたんよ。
その時は、絶望感が漂う中で、人々が復興に向けて頑張っている姿を見て、日本に大きな希望の光を感じた。
 
その後、有機農業を勉強するために1年半以上、アメリカに渡って、日本を離れていたんだ。それから帰国してから、もう一度、宮城に来てみると、震災直後の勢いがなくなっているように感じた。人々の震災への関心は薄れてしまい、震災をきっかけに変わるのではなく、戻っていたり、戻ろうとしていた。
 
それが、すごいショックだったね。
その時に、政治や大企業の力の大きさを感じたよ。
 
原発などの問題が現在進行しているはずなのに、何にも変わらない日本って何だろう?と思って。
正しいことを訴えると、白い目で見られたり、潰されてしまう。
 
だから俺は、あえてこの地で有機農家をしたいと思った。
金も権力もない一人の百姓に何ができるか、俺ができることをやっていくしかねぇな、って。

「何にも変わらない日本って何だろう?」という言葉が印象的だった。


震災後、アメリカに渡った村岡さんは、おそらく日本が持続可能なエネルギーに転換していることを期待して帰国したことだろう。
今なお、震災の原発問題は収束をしておらず、各地では再稼働が進んでいる。
原発反対なんて訴えると、周りから煙たがれてしまうので、暗黙の了解のように口を塞いでしまう。

「変われない、日本」というよりも「変わりたくない、日本」なのかもしれない、と思った。

百姓の次は、二百姓

村岡さんは宮城県村田町で農業を初めて、今年で8年目になるが、畑はワイルドで芸術的だ。
村岡さんは、自身の農法を「有機栽培」や「自然農・自然栽培」のハイブリッド型だと話す。
自然農法といえば、全てを自然の力に委ねる農法だが、村岡さんは、肥料や資材は、身近にあるものを利用し、地球全体の環境のことを考えて、この営みが循環し続けていけることが理想だと話す。

肥料は、村田町の酒蔵や米農家から廃棄された米糠や籾殻を使用。育苗土は、近隣の山から土と自作堆肥を混ぜて使っているという。
柵や支柱などの農業資材も、近隣の山から調達した竹や木材で賄っている。

村岡さん

肥料や育苗土も買った方が楽だし、柵や支柱も鉄骨を使えば、1回限りで何十年も長持ちすることは分かってるんよ。
 
竹は数年しか持たない。今の支柱や柵もそろそろ交換時なんだけど、それが重要なの。
 
要は循環やね。
山の竹や木材は、定期的に切って整備しないと、増える一方で、山の景観も悪くなる。景観が悪くなると、山に日光が入らなくなり、根だけが大きくなって、いずれ山崩れや土砂崩れなど大きな災害に発展する。
少なからず、そういう問題が起こってくるんよ。
 
イノシシやタヌキが人里まで降りてくるようになったのも、人間が山に入らなくなったことが大きな要因だからね。

畑の裏に見える山に群衆するスギの木。村岡さん曰く、そろそろ切らないとマズいらしい。

村岡さん

百姓ってのは、野菜を作るだけじゃなく、竹林整備や大工仕事など百以上の仕事が出来るマルチクリエイターなんよ。
 
ドラクエでもレベルアップすると、色んな武器や能力がゲットできるでしょ。俺はそんな感じでやってるから、今は、百に止まらず、「二百姓」を目指しとるよ。
 
やっぱね、山仕事をしていて、光や風が差し込む瞬間は、最高に気持ちいいよ。
そういう時が一番、豊かだと実感できる。
 
時代に逆行しているように思えるけど、俺の中では、百姓っていう仕事は、偏った社会になりつつあることに対してのカウンターカルチャーなんよ。

村岡さんは農家というより、何でも一人でこなしてしまう本物の百姓だった。
この辺りの竹林整備も、ほぼ一人で行っているという。

群れたがる現代人に比べて、全て一匹狼で行動し、生きるための仕事をしている村岡さんが素直にカッコ良いと思った。

しかし、村岡さんは、一匹狼になりたくてなってるわけではない。
村田町は、高齢化と離農によって、年々、人口が減っており、若い人は殆どいないのが現状。
街に活気や魅力がなくなり、地域のコミュニティや助け合いの文化が希薄になりつつことが、最も危険な状態だと村岡さんは警報を鳴らす。

村岡さん

里山文化ってのは、個人で生きる力と助け合いのコミュニティがあってこその豊かさだと思うんよ。
 
この辺の高齢の方をみてても、林業から農業まで一人で何でも出来る人が多い。インターネットもない時代だったのに、植物にめっちゃ詳しい人もいたりする。
 
今の時代に必要なのは、そういう野生的な感覚だと思うんだけどね。
全否定するつもりはないけど、現代人は、本来、生き物が持っているはずの感覚や肉体性を喪失しているよね。

地方の山間地域や限界集落は、閉鎖的な人が多いといわれるが、それは古くからあった地域の輪の名残だ。
もしかすると、閉鎖的なのは現代人の心かもしれない。

村岡さんのように、社会に頼らず、生きるだけで、野生の勘と肉体を取り戻していく。
つまり「自給力」は、これからの時代に求められるスキルだと思う。

村岡さんに、種のことも聞いてみた。

村岡さん

俺は、F1品種も悪いとは思ってないし、固定種や在来種に拘りはない。
それよりも、毎年、種を採りを続けて、オリジナルの種を作る方が楽しいっちゃね。
ちなみに、自分の畑だと、野菜が野生化しているよ。ニンジンなんて人の手で撒かなくても勝手に生えてくるからね。

5年以上も畑に生え続け、野生化したニンジン。何の品種だったかすらも忘れてしまった…と村岡さん。
野生化したニンジンは、とても甘く、1歳になる子どももムシャムシャ食べてしまった。

村岡さん

とはいっても、今を生きる人たちは、種との距離が大きいよね。
スーパーに並ぶ果物や野菜も種を採って、植えたら芽が出てくるんだよね。
つまり、生きてるってこと。そんなこと意識する人は少ないし、普通に生きていたら考えることもないよね。
 
俺は、種さえあれば、どんな状況になっても人間は生きていける可能性があると思ってる。
 
まずは、自分の種を確保すること。
それは、これからの時代を生き抜く必須条件だと思うね。

何年も自家採種を続けている種。全てが村岡さんが生み出したオリジナルの種だ。

野菜は、量り売りスタイルの対面販売

村岡農園のもう一つの特異性は、野菜の販売方法にある。

現在、村岡さんのような多品目少量栽培を行う小規模農家は、道の駅に野菜を出品したり、メルカリや産直ECのプラットフォームを活用することが主流だ。
しかし村岡さんは、ほぼ全ての野菜をface to faceの対面販売で売っているという。

村岡さん

もちろん、野菜を沢山売って、商売することは大切。
だけど、道の駅やネットの販売って、人間同士の対話が無いんよ。
 
近所のスーパーも、色々な食品があるけど、地場産の食品なんてごく一部でしょ。
90%以上は海外や外からで、野菜も小麦も肉も誰がいつどこで作ったかも、さっぱり分からない。
 
それに、何故そんな仕組みになっているかを知ろうとしない消費者が多い気がする。
この状態は、かなり歪だと思うよ。
 
だから、自分の野菜は、週2回の仙台のマーケット市と、村田町だけに絞った提携販売の二通りの対面販売をしている。
 
俺は、売れることよりも直接「美味しかったよ」と言ってもらえる方が何倍も嬉しいのよ。なぜかって、自分の子どものように育てた野菜だから。そんな思いも食べてもらえる人に伝えていきたいよね。
ここら辺がうまく機能すれば、俺たちは本当の意味で豊かになれると思うんだけど…。

村岡農園さんのマーケット市。毎週、仙台市の「UP!BAKER」というパン屋の前で対面販売を行っている。
画像は「オーガニックウィーク仙台」のサイトより引用
サンマルツァーノと呼ばれるトマト。古くからイタリアで栽培され続けてきた品種なども扱っている。
野菜だけでなく、完熟梅や栗などを扱う日もあるんだとか。

村岡農園のマーケット市では、量り売りスタイルをメインとしている。

昭和初期まで日本では野菜の量り売りが一般的だったが、今ではその面影はない。現在、海外の市場やファーマーズマーケットでは当たり前で、日本でも近年、改めて注目が集まっている。

量り売りは、プラスティックの袋やシールも必要ないし、配送や事務処理などの無駄なコストが一切ないことから、理に適っていると村岡さんは話す。

そして、村岡さんの地産地消の直売スタイルは、常連のお客さんが毎回来てくれるので、一回の出店でかなりの量が売れるそうだ。なにより、お客さんと顔が見える関係性がいいなと思った。

村岡さん

毎年、日本で生産されるお米の量は、約600〜800万トンくらいだけど、まだ食べられるのに廃棄される「食品ロス」も同じ約600〜800万トンくらいあると言われている。
この統計が真実なら、俺たちは1年で収穫されたお米をそのまま食べずに捨てているのと同じなんだよね。
 
確かに経済を回すことは重要だけど、何の有り難みもない。
だから俺は、自分に必要な分だけ、購入してもらう量り売りスタイルをやってるんよ。

対話のある海外のファーマーズマーケット

村岡さんは、過去にアメリカのワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州、フロリダ州の農家の元で農業研修を行い、本場のファーマーズマーケットで野菜の販売方法を学んだ。

とくにオレゴン州最大の都市であるポートランドでの学びは大きかったと村岡さんは語る。
環境先進都市であるポートランドには、ほぼ全ての地区にファーマーズマーケットが存在している。

村岡さんが訪れたポートランドのファーマーズマーケット

村岡さん

海外のファーマーズマーケットは生産者と消費者の距離が近く、対話があるのが印象的だったね。
 
売り上げの規模も日本と全く違う。
俺の働いていた研修先の農家は、1日で100万円ほど売り上げてたね。
 
印象的だったのは、研修を受けたオーガニックファームで働いていた人の殆どが、メキシコからの移民や途上国の労働者だったこと。当時、彼らに話を聞いたら、アメリカで働けば、母国の3倍以上稼げると言ってたね。彼らにすれば、IT企業や金融で働いている感覚だろうね。
 
でも、日本は、まだ日本人が農業しているよね。
おそらく先進国で、自国の人が自国の人のために汗を流し、食べ物を提供している国って無いと思うんだ。
 
最近では、農業も後継者不足で、海外の労働者に頼るところが増えているらしいけど、食料の自給すらできない国が、労働力まで海外の人たちに頼るというのは、情けないし、危うい状態と思うね。

『CSA』の仕組みを村田町で

村岡農園では、欧米で主流となる『CSA』という仕組みを村田町で実践している。

『CSA』とは、Community Supported Agriculture(地域支援型農業)の略称で、地域で生産者と消費者が直接連携して、顔と顔の見える関係の中で、農産物のやりとりをしていくこと。

具体例では、消費者が生産者に代金を前払いし、定期的に野菜ボックスを受け取ったり、生産者は、畑で起こっていることを消費者に知らせることで消費者との関係を深めたり、農業体験などを開催したりすることもある。

日本ではまだあまり普及していない仕組みだが、1980年代にアメリカで始まった『CSA』は、現在、欧米を中心に世界的なムーブメントになりつつある。

村岡さん

この『CSA』という仕組みなんやけど、日本でも「産消提携」と言われて、かなり似た取り組みが1970年代にあったんよ。でも、時代が進むにつれて日本では、広まるどころか衰退しちゃったんよね。
 
だから俺は、その日本の「産消提携」をもう一度見つめ直して、村田町で新しい提携ムーブメントみたいなものを起こしたいと思っている。
 
今の年配の方には、農家育ちの方が多いし、鮮度の良い野菜の美味しさを知っている人は多いけど、今の若い人はそれを知らない人が多いんだよね。そんな人たちにどうやって伝えていくか?これからトライ&エラーの繰り返しやね

村岡さんは、村田町は年々、過疎化が拡大し、コミュニティ同士のつながりも希薄になりつつあると言っていた。しかし、村岡さんの畑や取り組みは、ヒトと微生物、そして植物や動物たちがひとつのコミュニティのような生態系を作り上げていた。

人間同士が作り出す輪は、少ないかもしれないが、人が自然と調和し、豊かなコミュニティ(土壌)を作ることが、私たちの本当の意味での課題なのかもしれない。

このNative Seed Travelですが、在来種・固定種にとどまらず、
土を耕し、作物を育てて繋いでいくという、純粋な心で物事と向き合うかたの元へお邪魔し、人が自然と共に寄り添い暮らしていくありのままの姿をお届けしていきたいと思います。

村岡さん、ありがとうございました。

『村岡農園』公式サイト:https://farmmuraoka.mystrikingly.com/
『村岡農園』facebook:https://www.facebook.com/farmmuraoka/

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